知れば知るほど面白いレゲエの世界! 入口までご案内!
CONTENTS
カルチャー
カバー曲から興味を持っていただいて、少し時間が経ってレゲエもちょくちょく聴くようになったと仮定しまして、ではもう少し踏み込んでみましょう!という事で書かせていただきます。
レゲエは音楽そのものも素晴らしい上に音楽を育む土壌となったその独特なカルチャーもまた面白い。
レゲエにハマりたての頃はとにかく他のジャンルではあり得ない事が多すぎて、刺激だらけでした。
知らなくてもレゲエは楽しいですがレゲエを形作る物事をかじっているとさらに楽しい。
パトワ語
ジャマイカのパトワ語は植民地時代にルーツを持つ、主に英語と西アフリカの言語が混ざり合って生まれたクレオール言語(異なる言語同士が接触して生まれた新しい言語)です。
このパトワの響きがとにかくカッコよくて。
実際に映画などで聴いてもらうのが一番ですが例えば「Think(シンク)」が「Tink(ティンク)」、「Hospital(ホスピタル)」が「ospital(オスピタル)」というようにhを発音しなかったり、私を意味する「I」が「Mi(ミ)」、否定形の「Don’t」が「No」や「Nuh(ナー)」になったり(なのでI Don’t KnowはMi Nuh Know)…。
書いていて絶対に伝わってない自信がありますがやたら響きカッコいいのです。
ぜひレゲエ関連の映画や映像でパトワ語での会話を聴いてみて下さい。
ディージェイ
歌い手のスタイルの一つ。リズムやビートに合わせてリズミカルに話したり語ったりする、アフリカの伝統的な口承文化トースティングをルーツに持つラップとは似て非なるレゲエ特有のボーカルスタイル、そしてパトワの響きが最も映えるスタイル。で合っているのかな…。
現在DJと言うと2台のターンテーブルを操るDJの事を指す場合が多いですが、この場合のDJという呼称はディスクジョッキーがルーツにあるような気がします。
曲の紹介等の喋りを交えつつ選曲しプレイするラジオDJや、客を煽りながらプレイするかつてのディスコDJで言う”DJ”、ディスクジョッキー。
ジャマイカではサウンドシステムと呼ばれる移動式のディスコ/クラブで、そのようなマイクを持って選曲するDJが居ました。
その中でも気の利いた合いの手やお喋りを連発し、客を盛り上げるDJは人気者となり、とうとう70年頃にキング・スティットという人気DJのお喋りをフィーチャーした曲も制作されました。
King Stitt / Fire Corner(1969)
キング・スティットの軽妙な合いの手から当時の雰囲気が伝わってくるようで大変愉しい一曲。
まだまだ企画モノ、色モノな感じも否めないものの、この人が居なければその後に続く天才も世に出てこなかった。
そして後に続いたのはUロイ。レゲエ界の重要人物、レゲエディージェイの父。
U Roy / Wear You To The Ball(1970)
Uロイの初期の記録のひとつがアルバム「Version Galore」にも収録された「Wear You To The Ball」。
UロイはそれまでのDJとは違い調子の良い合いの手に留まらず、元々ある曲に合わせてリズムに乗りメロディに合わせ、メッセージを含んだリリックを持ち込みました。まさにトースティング。
パラゴンズの67年のロックステディヒット曲の上でUロイがトーストする、ヒットした原曲よりもさらにヒットした名曲です。
そしてさらに進化したその5年後の曲がこちら。
U Roy / Natty Rebel(1976)
グラディエイターズによるボブ・マーリー「Soul Rebel」カバーの上でUロイがトースティング。
入ってくるタイミング、スムースな語り口、時にメロディも付けながら乗りこなす様は明らかに5年前よりもネクストレベル。
このUロイがディージェイというスタイル、枠組みを作りその中で次世代のディージェイたちが育ったり羽ばたいたりしてくことになります。
有名なディージェイを挙げればキリがない上に書籍やWebサイトで紹介もされてるので、レゲエ初心者だったころにハマったディージェイと曲を紹介しておきます。
Dillinger / Cokane In My Brain
フィリーソウル、ピープルズ・チョイスの「Do It Any Way You Wanna」を拝借したリディムにディリンジャーのルーディーなトースティングが乗るキラー。
Dr. Alimantado / Poison Flour
ホレス・アンディによるパラゴンズのカバー「A Quiet Place」と同リディム。元曲のボーカルパートを残しつつ分量多めな合いの手を入れる”トークオーバー”スタイル。ロンドンのパンク達にも人気のあったというアリマンタドの人気曲、しかし”毒小麦粉”とは如何なるものなのか。
Big Youth / Screaming Target
ドーン・ペン「No No No」のトークオーバー。ディージェイネームは”背が高い若いやつ”の意。
剣呑なタイトルにぴったりの危険なムードが◎。
ソニック・ユースのサーストン・ムーアがここから名前を拝借し自身のバンド名としたのは有名?な話。
Clint Eastwood & General Saint / Stop That Train
イギリスを拠点に活動したディージェイコンビ。トラディショナル名曲500マイルを参照したと思われるスパニッシュトニアンズによるスカ名曲を息の合った掛け合いで気持ちよくカバーしたヒット曲。80年代前半らしいアーリーダンスホールサウンドにコンシャスなメッセージを乗せたコンビネーション(複数ディージェイものをこう呼びます、大体2人だと思う)。
Yellowman / Zungguzungguguzungguzeng
アルビノの黒人として生まれたために親に捨てられ差別され、しかしそれにも負けず蔑称の「イエロー」をディージェイネームに選びジャマイカやイギリスで大人気となったタフな男。スラックネス(下ネタ)スタイルだけどその中には結構マジなメッセージが隠れていたりする。Zungguzungguguzungguzengと唱えれば勇気が湧いてくる気がしませんか?
Brigadier Jerry / Jamaica Jamaica
ダンスホールレゲエもすっかり浸透、スラックネスも増えてきた85年にコンシャスなメッセージを届け続けたブリギー作裏ジャマイカ国歌。Answerリディム使いの中でもかなり好き。朗々と語りかけるようなトースティングが渋すぎる。B面のダブと合体したディスコミックスバージョンがお薦め。
Supercat /Fight Fi Power
80年代後期、90年代前期を代表するダンスホールディージェイ。Catというのはインド系移民を指すスラング。スーパーインド系。過去には殺人容疑や発砲事件などヴァイオレンスな一面もありますが、社会的な問題をテーマにコンシャスでポジティヴなメッセージを届けるゲットーヒーロー。この曲では過去から現在まで続く権力との闘いについて歌っている。男の中の男。
サウンドシステム
移動式のディスコ/クラブ、と説明されることもあるけどやっぱりサウンドシステムはサウンドシステムとしか言いようのない個性があると思っています。
このサウンドシステム、元々はジャマイカで1940~50年代に生まれたスタイル、娯楽産業の形です。
日本でラジオやテレビが登場したての頃、商売人たちが客寄せのためにラジオやテレビを店に置くのと同じような発想に近いと思いますが、ジャマイカではアメリカ産のレコードを床屋や八百屋、酒屋、金物屋がアンプにスピーカー、ターンテーブルといった音響機材をそろえて店先でかけて客を集めるということから始まりました。
そのうち街の広場にサウンドシステムを持ち出し酒や食べ物も売っているうちに本業より稼げるぞ、という事になり次第にビジネス化していきます。
ほかじゃ聴けない曲を選曲をするセレクター(一般的に言われるDJ)、観客を盛り上げるMC、音響機材のメンテナンス、オペレートするエンジニアなどなど色んな役割を持った人がそれぞれ集まり、街にはいくつもこのようなグループ、チームができその集団をそのまま”サウンドシステム”と呼びました。
※単に”サウンド”と呼ぶこともあります。またサウンドシステムが行う興行、イベント、パーティーの事は”ダンス”と呼びます。
DJチームとかユニットと違うところがまず音響機材、システムも所有しているかってところ。
しかもただの音響機材ではなくて、こだわりのアンプにケーブル、そして壁のように積まれたスピーカー。
初見ならだれもが興奮すると思います。
出来立てのサウンドはシステムを持っていない場合もありますが、先輩に借りたり既製品も混ぜつつなんとかシステムを組んだり、システムを持ち込む必要のない箱でダンスを主催したりしてファンを増やしお金を貯めて、そのうち自前のシステムを制作するわけです。
ファンが応援しサウンドも成長、そうして双方に強い絆が生まれるのも魅力の一つ。
ではそんなサウンドシステムの魅力を紹介したいと思います。
ド迫力音響
50年代の黎明期は質素なものだったようですが今やサウンドシステムと言えば壁のように積まれたスピーカー。
私が初めてサウンドシステムを体験したのは2004年、代々木公園でのOne Love Jamaica Festival。
日本のレゲエディージェイオリジネイター、ランキン・タクシーさんのサウンドシステム「TAXI Hi-Fi」。
トレードマークの青いスピーカーユニットがまさに壁のように並んでおり圧巻。
ジャークチキンとビール、80’s~90’sダンスホールにルーツ、ロックステディ。
普段聴いていた曲も1000%増しでかっこよく聴こえる魔法のような音、環境でした。
この量の機材を制作して保管してメンテナンス、ダンスの時は動作確認して運搬、設置してダンスが終わったら撤収。ほんと頭が下がります。
サウンドシステム、体験してみたいですよね。
結構身近にあるのでうっかり体験している人もまあまあ居るのではないかとも思っていますが、各エリア毎にサウンドシステムがちゃんと居てくれたりまします。
当店がある愛知/東海地方エリアだと祝結成30周年、三河の「FUJIYAMA SOUND」や名古屋の「TOTALIZE」、「BANTY FOOT」!
システムは持ち込まずに音響設備が整ったクラブで行われるダンスもありますが、街中で行われるイベントや港の方、山の方など大きな音を出せる場所で野外ダンスもやっていますので、まずはサウンドシステムが運営しているSNSで情報収集するのが吉。
地元でやっていたらもう最高にラッキー。
あとは久屋大通公園やモリコロパーク等で行われるレゲエやジャマイカ関連のイベントはとんでもなく気軽に入れます。
県外、エリア外のサウンドも来てくれることがあるのでエリア外のサウンドもチェックしておくとなお良し。
愛知からそう離れていないレゲエシティー大阪からは「Red Spider」や「Jah Works」が来ることもありますよ。
野外ででかい音でレゲエ、こんなに幸せなことは無いんじゃないかってくらいです。
ぜひどこかで体験して欲しい!
わたし自身しばらく味わっていない…当コラム書きながら久しぶりに行ってみたくなり今年のダンスを調べ中です。
MCがめちゃくちゃ喋る、かけた曲をすぐ変える、途中で止めて最初からかける
初めて行ったダンスが本当にこんな感じで何が起きているのかさっぱり分かりませんでした。
これはあくまでダンスホールレゲエのダンスの中に色々あるスタイルの一部だって事は後から知ったのですが本当に驚いたし楽しかった。おかげでその後何度もレゲエのダンスに足を運ぶことに。
セレクターなのかMCなのか一人で兼任してたのか記憶も曖昧ですが、俺はこういう事に対してこういう事を思っている、その気持ちをこいつが歌ってくれる、聴けや!みたいな事を喋りながら曲をかけ始めた瞬間が印象に残っています。リリックもめちゃくちゃ大事にしているところにかなり衝撃を受けました。
お客さんもちゃんとリリックの意味を知っていたり一緒に歌えたり、そういうところがかっこよかったのです。
当時自分は海外の音楽を聴いていても音しか聴いてなくて…。あれ以来可能な限りリリックも見るようになりました。
ほかに衝撃だったのが”めちゃくちゃ喋る”こと。
曲かけ始めた矢先にバックスピンのキュルキュル音、そのうえでMCがもっと騒げ!(サウンドの名前)のダンスだぞ!的なことを喋って煽ってもう一回頭からかけ直し。
そんな風にして曲の間に色々喋りながらどんどん次の曲、そしてホーンや機関銃のような音のSEが絶え間なく鳴っていて….サウンドとお客さんがお互いにダイレクトにコミュニケーションしているのが目からウロコっていうか、これ想像できますかね。
ぜひ体験して欲しいところですが国内、海外のダンスの様子は音源や映像で今ならすぐにアクセスできるのでぜひぜひ。
7inchシングルのB面にはいっている”バージョン”と呼ばれる歌抜きカラオケバージョンの上でシンガーやディージェイが歌う”ラバダブスタイル”、テンポ良く次から次へ繋いでいく”ジョグリン”(他ジャンルでのDJに最も近い)などなど色々なスタイルがあってほんとダンスの現場はエンターテイメント。
ダブプレート(スペシャル)
レゲエのサブジャンルにダブというものがありますがそのダブとこのダブはまた違います。
ダブプレートの事を省略してダブって言います。
ややこしい、と思われるでしょうが大丈夫、ちょっと慣れるとどっちの意味で使っているのか分かるようになります。
ダブプレート/スペシャルというのはサウンドシステムがシンガーやディージェイに依頼して彼らの既成の曲のリリックを少し変えて貰って、自分たちのサウンドシステムの名前や自分たちを讃える内容に変えて、そのサウンドシステム専用曲にカスタマイズしたもの。ライヴァルのサウンドを口撃するようなリリックを入れることもあります。
複数のサウンドが集まってどこが一番お客さんを盛り上げるか、支持を得られるかを競う”サウンドクラッシュ”というものがありますが、そういう場で発展したダブプレート文化。
自分の好きな曲があって、シンガーの事やその曲のリリックもある程度分かってて、そのダブプレートを聴いたときの興奮はとてもじゃないですが言葉じゃ説明できません。
有名サウンドだと現場でしか聴けないダブプレートを集めたミックスCDをリリースしていたり、ネットで音源公開してたりもしますが、多分ですけど公開してもいいやつを公開していて本当にヤバいやつはダンスに足を運ばないと聴けないようにしていると思います(し、そうであって欲しい)。
今ではクラッシュ用だけではなく冠婚葬祭用のダブプレートを録ることもあるようで、なんて素晴らしいカルチャーなんだろって思います。
これがどんどん広まれば”自分がプロポーズする時にあの人のあの曲のあのリリックをこうしてもらって”とか、
“よく行く飲み屋の10周年パーティーのために~以下同文”。
元々ロック好きだった私は”本人に依頼して替え歌を録ってもらう”ということがとにかく衝撃でした。ロック界でも流行るといいのに。
細かい事を言うと私がレゲエにハマっていた2000年代、替え歌カスタムしたものは”スペシャル”で、ダブプレートはその曲を制作したレーベルやプロデューサーが、正式リリースする前にテストカッティングした盤(例えば、歌や楽器が一部分だけカットされたような別ミックス)、制作中の曲をダンスでかけてお客さんの反応を見るためにカットしたテスト盤など、製造過程的に創る側の人たちしか手にすることのできないものという理解をしてました。
今でもそういう意味でのダブプレートを作っている人達は大勢居ますし、ダブステップのクリエイターは完全にそんな感じですね。
ダブプレートもスペシャルも複製して売ればそれなりに売れると思うんですけど、持っている人や作った人はそんな事しないし、運よくダブプレートをもらった人は宝物のように大事にしてたように思います。
やっぱり足を運んでくれるお客さんのためのとっておき、スペシャルってことなんでしょうかね。
商売っ気も持っているけどそういうプライドとか義理堅いところとか、カッコいいですねやっぱり。
ダンスホールレゲエ
ルーツレゲエの流行は80年頃まで続きその後に大流行したのがダンスホールレゲエ。
ルーツレゲエは70年代を通してリズムや音響面、最新電子楽器の導入などマイナーチェンジはするものの基本的な部分は変わらず、リリックもシリアスな内容の曲が多めという状況でした。
ボブ・マーリーを皮切りに様々なアーティストが世界に羽ばたく一方で、ジャマイカローカルの人々にとってルーツレゲエは身近なもの、自分たちのもの、という感覚を持ちにくくなっていたようです。
そういう状況の中で70年代の終わりに、新しいスタイルのレゲエを始めた一人と言われているランキン・スラックネスことジェネラル・エコーが登場します。

見た目からしてシリアスなメッセージが飛び出してくる訳が無いこのアルバムは、下ネタやラフな言葉が飛び交うスラックネスというスタイルのアルバムでした。
このスタイルの登場がシーンを少しずつ変えていき、ダンスホールレゲエというジャンルにまで発展していきます。
このスラックネスLP、ただただリリックの内容が下品なだけでバックトラックは当時最新のルーツレゲエとなんら変わりないので、ルーツレゲエとダンスホールレゲエは音楽性ではなく扱うテーマによって枝分かれしたと言えそうです。
そしてこのスラックネスを含めた、ルーツレゲエよりも良い意味で下らない事柄、身近な事柄をテーマにしたリリックは人々に喜ばれたのでプロデューサー達もこぞってこの新しいレゲエを制作していきました。
ただ、ルーツレゲエ的なテーマもまったくのゼロになったかというとそうではなく制作される分量、バランスが変わったという事です。
また音も人々の楽しみ方に合わせて変化が進んでおり、ルーツレゲエより明らかに音がスッキリと整理され、洗練された都会的な音になっています。
この頃の音を象徴するレーベルにVOLCANOがありますが、このレーベルのプロデューサー、ヘンリー”ジュンジョ”ロウズのコンピレーション「Volcano Eruption: Reggae Anthology」がヤバいので紹介しておきます。
バックバンドはルーツ・ラディクス、エンジニアはサイエンティスト。70年代のレゲエと比べるとかなり今どき。最新のルーツリヴァイバル系の参照先のひとつ。
そして1985年、キング・ジャミーのレーベル、Jammysからリリースされたウェイン・スミスの1曲「Under Mi Sleng Teng」がダンスホールレゲエの世界を一変させました。
レゲエを永遠に変えてしまった大事件、それがこの曲。通称スレンテン。
この曲は初めて電子音によるトラックで制作されたレゲエであり、この曲の登場を機に一気に音楽制作の現場でデジタル化が進むこととなりました。
ちなみにこのトラックは日本のメーカー、カシオ計算機が81年に発売した電子キーボード、カシオトーン MT-40のプリセット音源。
以下の記事がとても面白かったのでリンクを掲載しておきます。
レゲエ界に革命を起こしたリズム「スレンテン」は日本人女性が生み出した:カシオ開発者・奥田広子さん
このデジタル化の流れをコンピュータライズドと呼び、ここから一気にダンスホールレゲエの生産量も増加、90~00年代にはダンスホールレゲエは黄金期を迎えます。
その間には揺り戻しとして真面目なメッセージを歌うルーツ・リヴァイヴァル、ヒップホップを取り込んだラガ・ヒップホップ、ラスタでありつつギャングスタなギャングスタ・ラスなど様々なスタイルが生み出され、世界的なヒットを出すスターを何人も輩出するまでになりました。
そして現在ヒップホップはもちろんR&BやEDMなども取り込み(その逆も然り)ダンスホールレゲエの境界はかなり曖昧になってきています。
それでもやはりレゲエとして認識されているのは、レゲエがヒップホップと同様にただの音楽形態を表すものではなくもっと広範な、その周囲にある様々な人や事、歴史も含めての文化である事の証。
ルーツレゲエは好きだけどダンスホールは…と思っている方にはぜひダンスホールレゲエ、一歩踏み込んでみていただきたい。
ラヴァーズ・ロック
70年代後半、イギリスに移住してきたジャマイカ系を含むカリビアンコミュニティ(+アフリカからの移民)で発展したサブジャンル。
「ジャー!ラスタファーライ!バビロンを打倒しいつかアフリカに帰るのだ!」というストリクトリーなルーツレゲエも好まれたけれど生まれも育ちもイギリスという10代、20代の移民2世がこの頃にはいるわけで…。
日本でいう「戦争を知らない子供たち」みたいな、親世代とのジェネレーションギャップ。
イギリスなのでもちろん欧米のヒット曲も聴くだろうしディスコやソウルもジャマイカよりも触れる機会は多かっただろうと。
そんな状況の中で一生懸命スピーカーを設置して、パーティの場で「バビローン」とやってもなかなか女の子が来ない。女の子が来ないと男も来ない。
激しい差別、厳しい現実、パーティ会場に無事に辿り着けないこともたまにある。
そんな状況下で少しの時間だけでも楽しく甘い夢を見るロマンティックな時間を過ごしたい。
そういう若者が好んで聴いたのがラブソング系のレゲエ。
この事を知ったミュージシャンやレーベル経営者がラブい曲を積極的に制作し始めました。
移民を取り巻く様々な状況とそこから生まれる必要性に迫られてできあがったのがラヴァーズ・ロック。
甘くてロマンティックで、若い男女の恋の気分を盛り上げるレゲエ。
そしてこうした曲達の誕生によってシリアスな曲も再び輝きを取り戻す、胸に響くようになるわけです。
このラヴァーズ・ロック、メロディもアレンジも洒落ていて大変素敵な音楽なのですが小さなシーンの中で流通していた音楽だったため、一部の例外を除いて日本まで伝わることはありませんでした。
しかし2003年に「RELAXIN’ WITH LOVERS」というUKラヴァーズのコンピレーションシリーズがスタートすると少しずつ状況が変わり今となっては日本、ラヴァーズ愛好国。
ラスタファリアニズムの色濃いルーツレゲエは理解しにくい部分もあるかもしれませんが、この移民2世以降の世代が作ってきたレゲエは気分的に距離が近くて入り易いと思います。
そして「RELAXIN’~」に薫陶を受けた日本人ラヴァーズ・ロックプロデューサーのZunggu Zungguさんが先日ラヴァーズ・ロック・レコード・ガイド「ROMANTIC REGGAE SELECTION 1970s-1990s」をリリース。
何度目かのラヴァーズブームが来ているとかいないとか。
※この素晴らしい本については最後の方でも紹介しております。
そしてちょうど良すぎるプレイリストがありましたので紹介しておきます。
Zunggu Zungguさん、ありがとうございます。使わせていただきます。
ダブ
音楽好きな方なら誰しもが耳にしたことのあるであろうダブという言葉、そしてその言葉がカテゴライズする音楽。
今やレゲエのサブジャンルどころか「レゲエは聴かないけどダブならたまに聴くかな~」って人もいるくらいに人気ジャンルの”ダブ”。語源についてはまちまちですがダブプレートと関係ないわけもなく。
サウンドシステムの項に書いたように、ダブプレートは曲の製作者が正式リリースする前にテストカッティングした盤、制作中の曲が売れるかどうか調べるためのテストプレイ用にカットした盤などを指します。
カットしたばかりのアセテート盤をその晩のダンスでかけたりするわけですね、楽しそう!
レゲエのサウンドシステムオーナーは同時にミュージシャンやレコードレーベルの関係者、はたまたスタジオ経営者やエンジニアである場合も多く、サウンドシステムとスタジオの相互フィードバックが音楽の進化を促した面もぜったいにあったんじゃないかと。
※ここからダブとはまた別のトースティング、ディージェイというスタイルが生まれるのですが別の項で。
そしてこの関係がダブというジャンルへと発展していきます。例えばこんな感じ、あくまで私の想像ですけど。
あるとき歌無しのカラオケバージョンを聴いたお客さんがそれに対して大合唱、ダンスが大いに盛り上がったという事からことから始まり、すぐにサビだけ残したバージョンやベースとドラムの音を全面に押し出したミックス違いバージョン、一部分だけバッサリとドラム&ベースをカットしたバージョンなどが制作され、知っている曲の別バージョンにお客さんも夢中。
そしてとうとう別バージョンを集めたアルバムがリリース、独立したアートフォームとして一歩前進。
初期のダブアルバムとして有名なのは「Prince Buster/The Message Dubwise(1973)」や「Herman Chin Loy/Aquarius Dub(1973)」、「Impact All Stars/Java Java Java Java(1973)」などがありますが、音量バランスの変更や各パートの抜き差し、控えめなエコー、ディレイがエフェクト手法というかなり素朴なダブ。
そしてより過激なエフェクトが使われだした歴史的な作品「King Tubby/Presents The Roots of Dub (1975)」…挙げればきりがない上に素晴らしいディスクガイドやサイトもあるのでこれ以上は割愛しますが特に好きなダブアルバムを数枚紹介させてください。
※音源がサブスクリプションサービスでは聴けないものもあるのでダブの項ではジャケット画像のみにしました。
Augustus Pablo / King Tubbys Meets Rockers Uptown(1976)
ジャケ違いもありますが馴染むのはこのジャケ。中でも数多の音楽ファンをダブの虜としてしまった空前絶後の大大大名ダブがタイトルトラックの「King Tubbys Meets Rockers Uptown」。
メロディカ奏者かつプロデューサーでもあったパブロがジェイコブ・ミラーというシンガーと1975年に「Baby I Love You So」という曲を制作、その音源をもとにエンジニアのキング・タビーとパブロが制作したダブがこの曲。聴いた事が無い方はまず一聴。ぜひダビーになる前の原曲も併せて。
Augustus “Gussie” Clarke / Double Bubble(1978)
オーガスタス・ガッシー・クラーク制作のダブ。70年代初頭から現在まで大活躍、ダンスホールレゲエ全盛期にはMusic Worksレーベルでも成功、2000年代に入ってからのリアーナのシングルにもクレジットされていて驚かされたガッシーのダブ仕事の中でも一番好きなアルバム「DREAD AT THE CONTROLS DUB」から一番好きな曲を紹介。寄せては返す美しい音の波にただ心身を委ねるのみ。
しかしこのアルバム、プロデュースがガッシーって事とアートワークデザイナー名以外分からずエンジニアや原曲も分からない。この曲に歌が乗っているものが在るかもしれないと考えるともちろん夜も眠れない。
Matumbi / Bluebeat & Ska Dub(1979)
若松孝二監督、内田裕也主演の「餌食」で(個人的に)有名なUKのレゲエバンド、マトゥンビの「Bluebeat & Ska」という曲のダブ。UKレゲエ、パンク/ニューウェーブや坂本龍一周辺のファンならお馴染みかもなデニス・ボーヴェルのバンドです。
このダブ、なにかのベスト盤CDか12inch(しかも表記無し、B面に入っている)しかないという世話が焼ける可愛いやつ。
ミックスしたエンジニアも表記無しというよくある”詠み人知らず”状態。
デニスはエンジニアもやるのでデニスかな、とは思いますがなんとも。
1stアルバム「Seven Seals」収録の原曲が大好きでしたが当時はダブバージョンの存在を知らず、ある日遊びに行った先で聴いたときの感動の余韻が今でも残っているのでここに並ぶことになりました。
Mad Professor / Cool Runnings Mandela(1990)
こちらもUK、ARIWAレーベルのボス、プロデューサー、エンジニアのマッド・プロフェッサー。
甘酸っぱくてポップなラヴァーズロックから硬派な社会派ディージェイ、ジャマイカのレジェンドまで何があろうと一聴してARIWAと分かるハイクオリティな音がとにかく最高ですが、自分名義のアルバムも数多く制作しています。今回はライフワークとも言えるDub Me Crazyシリーズの「Pt. 10: Psychedelic Dub」収録のこの曲をピックアップ。イントロに被る日本語が私の気持ちを代弁してくれています。ぜひ聴いてみてください。
原曲はARIWAでも大活躍のディージェイ、Macka Bの「Get Rid Of Maggie」。
エンジニアは何をしている(た)のか?
スネアだけ、ギターだけ、ピアノだけ、ボーカルだけ、というように各パートが分離した状態の、レコーディング過程で作られるマルチトラック音源というものがあります。そしてそのマルチトラックをパート別に音量や音質調整、エフェクトをかけたりできる装置、ミキシングコンソール(ミキサー卓)があります。
ミキサー卓によって各パートの音を一つの曲として最高のバランスになるようにするのがミックスダウン、ミキシング。何を目指すかによって正解のようなものはありますが(スマホ×イヤホンでの再生を想定したミックスとか)より冒険的な、その極端な一例がダブ。
今は流石にパソコンを使う場合も多いと思いますが、各パートを同時に再生しながらリアルタイムで直観的に、まるでオーケストラの指揮者のようにミキサーを操作しエフェクトをかける様子はかつて謎に満ちていました。
しかし今は凄いことに見ることができます。
というわけで何をしているのかが少し分かるコンテンツを紹介しておきます。
Mad Professor – What’s Going On? – Live on FM 94/9 Radio
イギリスのレゲエプロデューサー、エンジニアのマッド・プロフェッサーが、マーヴィン・ゲイのマルチトラック音源を使ってダブしてます。
エフェクトのタイミングと手の動きが見えるのでダブへの理解が一歩の進むはず。
The Scientist mixes Ted Sirota’s Heavyweight Dub — “Stop & Frisk Dub”
キング・タビーの愛弟子サイエンティストがテッド・シロタという人のレゲエプロジェクトの音源をダブにしていく様子がミキシングコンソールを中心にしたアングルで観られる大変ありがたい動画。
以上、ダブの項でした。
こうしたダブアルバムはジャマイカ国内よりイギリスで売れ、そのほかカナダやアメリカでも売れたようです。
イギリスでは80年代前後にパンク/ニューウェーブと邂逅、そこで遊んでいた後のクラブミュージッククリエイターにも影響を与え、リミックスやエクスクルーシブ、VIPといったカルチャーが生まれるきっかけとなりました。
リディム
“リズム”の発音がパトワ語訛りになってリディム。日本ではリズムと発音する人も多くいます。
例えばクインシー・ジョーンズやレコード会社が凄腕ミュージシャンを集めてマイケル・ジャクソンの「BAD」をヒットさせても「せっかく高いギャラを叩いて最高のトラックができたんだからマイケルだけじゃ勿体ない、他のシンガーにもリリックを用意させて別の曲を作って儲けよう」…とはしませんでした。
それをやっているのがこのリディムというカルチャー。
リディムというものが前面に出てきた、バックトラックの事を”リディム”と呼ぶようになったのは80年代のダンスホールレゲエ期からですが、元々ロックステディの頃からトラックの使いまわしやリメイクは行われていました。
そして80年代後半にコンピュータライズドという大革命が起きるのですが、この辺りからトラック自体に名前が付けられ、”リディム”と呼ばれるようになりました。
元々レコードレーベルをやる人達は商売人、一度作ったトラックで曲を作って売れるならそれはそれは良いですよね。
権利、法整備状況の違い、ノリの違いからレゲエの世界では「もったいないからあと数曲作ろう」という事が行われていたのだと思われます。
このアイデアがアーティストが曲をリリースする際のハードルを下げ、リリース量の増加、音楽の進歩を促すベースになっていたと言っても決して大げさではなく、そこからスターが生まれるのはまさにジャマイカンドリーム。
ただ実際に著作権侵害で訴えられ、多額の賠償金が払えず破産したレーベルもあるのは事実..。
そういう面も決して無視はできないのですが一旦それは置いておいて続けますね。
リディム=歌抜きのカラオケバージョンにはそれ自体に名前が付いています。
リディムの製作者が命名する場合もありますし、そのリディムを使用してヒット曲が生まれるとその曲名がそのままリディム名になったりします。
有名なリディムや大ヒットリディムなどを挙げ始めるとキリが無いのでここでは一つ、私が愛する「Darker Shade Of Black Riddim」を例を挙げます。
カヴァー曲の項でも紹介したソウル・ヴェンダーズ「Darker Shade Of Black」という68年の古い曲が元となったリディム。
その中でもまず大のお気に入りがこちら。
Wayne Smith / Aint No Meaning(1984)
キング・ジャミーというプロデューサーのJammy’sがリメイク(新しく撮り直す)して何曲か制作してます。
コンピュータライズド前夜の電子音と生音の混ざり具合の丁度良さ、トリッピーなイントロの一発目のキックが入るところでトびます。重いベースラインに抜けるようなエコーエフェクトがかかったスネアの迫力がたまらないトラックの上に浮遊感のあるウェイン・スミスの歌声がトリップ感満点な激ヤバチューン。
Jammysの「Darker Shade Of Black Riddim」めちゃくちゃ好きなのにこの曲以外数曲しか聴いたことありません。
Mr Vegas / Lean With It(2007)
こちらはスライ&ロビーのTAXIレーベルによる2007年のリメイク。ミスター・ヴェガスのクセになる歌声が乗る中毒チューン。Jammysのリディムと比べると音像もスッキリ、都会感マシマシかつちゃんと「Darker Shade Of Black Riddim」。
他に同リディム使いだとチャック・フェンダーの「So Many Girls」、レディ・ソウ「Married Man」、パン・ヘッド「Dis The Program」などなどカッコいいものがたくさん。
Frankie Paul / Pass The Tu Sheng Peng(1983)
時代は戻って初期ダンスホール。ヘンリー”ジュンジョ”ロウズのレーベル、VOLCANOの「Darker Shade Of Black Riddim」。ルーツ・ラディクスのファットでタイトなリディムとジャマイカのスティービー・ワンダーと呼ばれた(もしくは自分でそう名乗った)フランキーの伸びのある歌声が気持ちいいヒット曲。
同じリディムでもレーベルや制作された年代によって音色の変化や上物の入れ方が違うのも面白いし、
シンガーが各々違う歌詞、メロディーを乗せるところも面白い。
聴く方も俺はJammysのコレ、わたしはSteely & Clevieのアレ、とかそれぞれお気に入りがあるところも楽しい。
リディムがとんでもない数存在する上に、そのリディムに対してさらにたくさんの曲が制作されてます。
好きな曲を見つけたらリディムを調べ、同リディム異曲を探すということが楽しくてひたすら繰り返してました。
お気に入りのリディムを見つけて、そこからまたたくさんの曲と出会っていってもらえたら嬉しく思います。
もっと知りたい!書籍、映像作品
座学も楽しい!オススメ書籍
インターネットが発達した現在でも活字に勝る情報源はなし!とはわたくしの言ですが、これは本当。数あるレゲエ本の中でもとりわけオススメの書籍を紹介しておきます。
REGGAE definitive

スカ、ロックステディ、レゲエの重要作品が網羅できる上に最近の本なので2020年頃までをカバー。
ジャンルではなく時系列でまとめてあるので音楽がどのように変化していったかが分かりやすくなっている。
レゲエに関するディスクガイドはこの1冊あれば充分なのかもしれない。
レゲエ・アンバサダーズ

2010年頃から歴史をさかのぼる形で進むユニークかつ入りやすい構成、55名のレゲエミュージシャンに対して行ったインタビューをまとめた本。現在トップを走るミュージシャンたちがどのような影響を受け、どう変化してきたかを振り返ることでレゲエの本質に迫ろうとする..というと難しそうですがめちゃくちゃ面白い本です。
ROUGH GUIDE TO REGGAE

歴史書でもありディスクガイドでもある多くのレゲエファンが手に取ってきたレゲエ大事典。
著者は「レゲエ博士」スティーブ・バロウとピーター・ドルトン。レゲエへの理解度向上に比例して音楽やカルチャーへの興味も激増する名著。
DANCEHALL REGGAE STANDARDS

ダンスホール・レゲエのディスクガイドは貴重。すこし情報は古いがまだまだ現役の名盤、名曲が掲載されており充分役に立つ。
DUB入門

ダブに特化した画期的なディスクガイド。レゲエ文化圏内の狭義のダブではなく手法/技術としてのダブを取り入れたクラブミュージックまでカバーする。
ラヴァーズ・ロック・レコード・ガイド ROMANTIC REGGAE SELECTION 1970s-1990s

ここ日本から出たラヴァーズ・ロックガイド。ラヴァーズ・ロック系の大小様々なレーベルや重要人物、そして当時を知るミュージシャンや関係者への超絶貴重なインタビューを掲載。それまでほとんど謎に包まれていたUKラヴァーズの世界をここまで詳しく紹介している本は前代未聞。ラヴァーズ・ロック愛に溢れる逸品。自分の知らないラヴァーズ・ロックがまだまだあり嬉しくて途方にくれました。ほんとうに素晴らしい逸品です。
どの書籍もその労力に頭が下がる思い…。今はそうでもないかもしれませんが、レコードのリリース年や作曲者や演奏陣の情報もほんと適当なので、それはそれは並々ならぬ苦労があったと思います。
そしてそんな厄介な相手にもかかわらずレゲエ関連の書籍ってまだまだまだまだあります。「ベース・カルチャー」に「ソリッド・ファウンデーション」、「ピープル・ファニー・ボーイ」に「キング・タビー ダブの創始者、そしてレゲエの中心にいた男」etc…面白い本ばかり。
それだけ興味深く、魅力のある音楽/文化だという証。
ここに挙げた書籍はこのコラムの1億倍の情報量、質、密度なのでぜひ手に取ってみていただければ。
映像に勝るものなし!レゲエムービー、コンサート映像
ロッカーズ
70’sルーツレゲエの世界にどっぷり浸かれるレゲエムービー。ミュージシャンが本人役で出演していて話し方、身のこなし、ファッションなどなどかなり影響を受けました。どのくらい受けたかというと当時乗っていたHONDA スーパーカブに「ユダのライオン」の絵を描き込むくらい。ルーツレゲエの思想というか心意気を教えてくれるナイスな作品。貴重な動く演奏シーンも何度も見返しました、

One Love Peace Concert
硝煙立ち込める1970年代後半のジャマイカ、二大政党のJLPとPNPによる抗争はもはや内戦状態。この状況を打開すべくボブ・マーリーが78年に開催した2大コンサートのひとつ。後半はボブやピーター・トッシュ等の超大物のライブが収録されてますが個人的な見どころとしては前半。デニス・ブラウンやアレサ&ドナに極めつけはUロイ!動くUロイがカッコよすぎ。

Reggae Sunsplash 83
スカタライツにグレゴリー・アイザックス、シュガー・マイノット、リタ・マーリーにサード・ワールド。外からはなんとギル・スコット・ヘロンも参加。素晴らしいライブが良い映像と音で記録されている。

バビロン
80年当時のロンドンのレゲエシーンを取り巻く重苦しい空気が詰まった映画。アスワドのブリンズリー・フォードが主演し音楽はデニス・ボーヴェルが監修。ジャマイカを描いたロッカーズとは全く異なる手触り。異郷の大都市の片隅で生み出された冷たく重く、先の見えない不安と怒りが反映されたレゲエとその記録。
重い内容だけどファッションや劇中にかかる曲がとんでもなくカッコいい。

スモール・アックス
所謂レゲエムービーではありませんが、ぜったいに紹介したかった作品。
これまでほとんど日本に伝わってきていないイギリスでの人種差別問題についての理解が深まる必見作。スティーヴ・マックイーン(あの名俳優ではありません)監督による5本の映画で構成されたアンソロジー。
試しに第一話の「マングローブ」だけでも見てみてもらいたいです。
劇中トゥーツ&ザ・メイタルズのとある曲がかかるシーンで涙が止まらなかった。この映画を見た後で聴くレゲエはちょっとヤバい。
全話素晴らしいですが、当コラム的には第二話「ラヴァーズ・ロック」、第四話「アレックス・ウィートル」がかなりオススメ。劇中通して鳴り響くレゲエと共に彼の国の社会問題について学ぶことができます。
まとめ
いかがでしたでしょうか。書いた私の感想は「書き過ぎちゃった…」です。執筆時間をくれた店長、先輩、すみません、ありがとうございました。まさかこれほど自分がレゲエ好きだったとは。再発見の時間でした。
わたしは元々90年代後半の洋邦ロックから音楽が好きになり、クラブミュージックにヒップホップ、ソウル、ファンクほか色々聴いてはいましたがレゲエはちょっと近寄り難く、現代的なパキっとした音質に慣れていた耳には非常に原始的な、かっこ悪い音楽に聴こえてしまって。特にルーツレゲエやスカは音もモコモコスカスカ、パンチのない古い音楽、と思っていました。
もちろんボブ・マーリーは聴きましたし好きでしたがそれ以外は…。
それがあるときクラブでThe ProdigyのOut Of Spaceという曲に出会い、サンプリングされているのがルーツレゲエの名曲、マックス・ロメオの「I Chase The Devil」という事を知って。
で早速ロメオのアルバム「War Ina Babylon」を買い、DJができるバーでかけていたらお客さんが声をかけてきて。
「普段ロックばかりのお店だからレゲエ聴けると思わんかったわ。いいよねレゲエ、お兄さんレゲエ好きなの?」
で、「ほとんど知らないっす」と答えたところからその先輩による教育が始まって、そこからまた知り合いが増え友達ができレゲエにもどんどんハマり…という。今思えばまさにJah Guidance!って感じで。
なのでここに書いたことの半分くらいはその頃に教えてもらった音楽、本、映画からですね。
まさかこうして書き残す機会をいただけるとは。
少しでもレゲエや周辺のカルチャー、歴史について興味を持っていただけたら幸いです。



